カメラ・写真
丸山正志 自分勝手なホームページ
(D-GALLERY はSIGMA sdQH、SD1M、dp2Qを中心にSD9,14,15,DP1で撮ったものです。FilmGALLERYはフィルムカメラで撮ったものです)
(特別編)親父のアルバム
今では、ほとんど話題性ということでしかなくなってきた「捕鯨」。
その昔、貴重な食糧として日本を支えた大事業だったことすら歴史の中に埋もれてしまいそうです。
このページは、写真館特別編として、父親が乗っていた捕鯨船の写真・資料を載せてみました。
参考リンク http://tetchi88.wix.com/hogei
このページを作ったきっかけになった方のホームページです。親父と同じ船に乗っていたであろう方の息子さんが作っています。親父の乗っていた船を検索したところからやり取りが始まりました。不思議なご縁ですね。
「おやじのアルバム」タイトルそのままいただきました(笑)
←親父が使っていた小西六「PearlⅡ」。まだまだ現役で使います!!
出航の翌日、大シケで3名亡くなる。 親父のショック振りが印象的。酒は強くないのに飲んじゃってます。
翌日も無念さが綴られています。食糧庫がシケで壊れてしまい、生鮮食品はおろか、食糧がダメになってしまう様子が書かれています。腐敗野菜の処分に苦労している様子。なんと10日に渡って大シケ。3/15にようやく食糧補給。
やっと食料補給。
4月に入り、亡くなった3名に代わりに3名の補充がくる。
捕鯨にだんだん規制がかかり始めたころ。いろいろ大変だったようだ。この後、まだ6~7年は船に乗るが、この年が相当苦悩があったようだ。
拡大。これを読む限り、ある程度何かの覚悟は決めたように読める。ワタシがあと一年でこの時のオヤジの年齢になる。
(写真は親父ではありませんが)こんな大きいのがいるんだぞ、と証拠のために持ってきた写真(笑)
親父が独自につけていた捕鯨工程。
多分、捕鯨も末期のころでしょう。
パソコンもワープロもなかった時代。親父は手書きで144日間・二百数十名分の献立を一人で考えていたんだなぁ。
手書きです。
これは時期的にサケマス漁かも。乗船が決まると、電卓だけで積み込み発注の計算してた。この時はピリピリして近寄れなかった。
航海中のメモ。
日記代わりにつけてたものと思われる。
第五次南氷洋捕鯨。(昭和25年/1950年)親父21歳か。